never young beach「tropicaria vol.2」@WWW X を観た。
月刊根本宗子「夢と希望の先」を観た。
group_inou活動休止
なんなんだいったい、、、
ゲボゲボである。ゲボゲボ。アイドント大丈夫だよ全く
休止とかそういうのしなそうだから油断していた
あぁ なんだかなぁ 夜中に一人になって暗くなる 影がデカくおぶさり 後頭部を削り 三日月 ぽっかり空いた穴は鎮まらず
ただただむやみに楽しみにしていたWWW2DAYSに違う意味がついてしまった悲しい
まあ休止だからね、、1年くらいでしれっと戻ってくること頼むよ、、ホント、、、
踊ってばかりの国からは林抜けるし何だ今日は厄日か
林氏のナルシストっぽいギターの弾き方めちゃ好きだったのに
ただ明日はあらゐけいいちの新作CITYの発表日だ
終わるものあればはじまるものあり
形あるから成り立ち 破壊は再生 静かな夕立 おちおち寝てられない
それにしても、、困るなあ、、、
モールル的な短いやつであってくれ
「たまこラブストーリー」を観た。
Microsoftなんとかしろ
「シン・ゴジラ」を観た
結局さ、ポケモンGOもシン・ゴジラも(なんならオリンピックも天皇陛下のお言葉も)同じなんだよな。
その作品の内容の良し悪しが問題なのではなく、「語るに値する」作品であることが重要なのだ。
その語るに値する作品を同時代に語ることをひとはお祭りと呼ぶのだ。
今風の言葉で言うのならば、「乗るしかない、このビッグウェーブに」というところ。
きっとめぞん一刻が連載されていた時もそうだっただろうし、ビートルズやあさま山荘事件もそうだっただろうし、かつてのそして4年後の東京オリンピックもそうだ(った)ろうし、そしてもちろんはじめのゴジラという作品がこの世に産み落とされた時もそうだったのだろう。
後世に残るのは作品の良し悪しだが、それを摂取し共有できるいまという瞬間には間違いなく魔法がこもっている。
と、シン・ゴジラを観にいったおれは思ったのだった。
あともうひとつ。
これが東京だ、とも思った。
きっと関西にいた頃のおれが観ると満足度はまた違っていただろう。
知っている場所が今そのままの形で蹂躙されていく姿はまさしく拡張現実であった。
きっとNYのひとたちはハリウッド映画を観て同じような気分になるのだろうし、それが邦画で体験できることが感慨深い。
そして、これが地域格差のひとつの顕れでもある。
ゴジラは高知には上陸しないのだ。おそらく。
「人類が知っていることすべての短い歴史」を読んだ
宇宙、地球、生命、人類について述べた本。
いろいろなことが明らかになるまでの道のりをストーリー仕立てに読みやすく興味深く描いている。
特に宇宙、地球の章が面白かった。
ほとんどの発見は1800年以降に行われていることが興味深い。そしてアインシュタインは本当の意味で天才だ。
わたしたちはまだなにも知らないということを再認識させてくれる。
こういう本を読むたびに思うことがあって、それはわたしたちの歴史がほんとうの意味で始まったのは中世以降、ルネッサンスからだということだ。
それまでの文明はあまりわたしたちが石器時代について述べるのと変わらないのではないかという感じがする。
そういう意味で古代ギリシャはとてつもない時代だった。もし古代ギリシャのまま進み、キリストが生まれなければ今私達の文明は西ローマ帝国が滅びる400年から1400年までシームレスにつながり1000年前倒しに発展していたのでないかとすら思ってしまう。
キリストは「愛」という思想を発明したが、その思想は悪用され1000年間文明を停滞させてしまった。
私たちの文明はまだはじまったばかりだ。