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ユリ熊嵐第一話と「おもしろい」ということ、「おもしろくない」ということ

幾原邦彦監督最新作の「ユリ熊嵐」と作品批評について。

『ユリ熊嵐』 暗喩的表現を多用してシンプルなテーマを壮大に描く、ウテナ・ピングドラムの正当後継作 - ニュース速報(嫌儲)

「おもしろかった」「安定の1話切り」「精神的に快感を覚える 」「開始30秒で切った」などなどアンチ信者入り乱れ、とても居心地が良い。

まあなんにせよ1話で作品の価値を語っている奴はアホだ。

1話を見て判断できることは「自分に合っているかどうか」であって、「作品がおもしろいかおもしろくないか」ではない。

いうなれば2時間の映画を見にいって開始5分で外に出た奴に作品の価値を語る資格は与えられないと同じ。

それで「つまんなかったわー!!」と触れ回ってたら爆破されるべきだものね。

そういえば夏の公演でも劇始まって10分位で外出てきた客いたなあ。

「見てられない見てられない、君らもっと勉強した方がいいよ」とかなんとか。

そんな僕らの作った演劇は評されて大阪に招待されたわけだけれど。

個人的な第1話の感想としては「さっぱりわかんねえ!!、からはよ続き見せろ!!」という感じ。

ピンドラ1話の時のような圧倒的なパワーは感じなかったけど、他と一線を画するわくわく感は変わっていない。

あとイクニはキーワードの使い方が上手いなあと思った。ワードをキーとして使っている感じ。 

そのワードをすこし謎めかせるだけでこんなに威力が出るのかと感心しきりだった。

ワードはリフレインされ、丁重に扱われてキーワードになる。

キーワードだけでドキドキさせられるのはすごい。

 

思うのだけれど、作品に「価値」というのは確実に存在する。

良いものは良い理由があるし、悪いものには悪い理由がある。

「おもしろい」というのは絶対的な基準だ。曖昧に見えてとても確かな基準だと思う。

このあいだ「演劇で勝つってなんだろうね」というツイートが回ってきた。

演劇で勝つ、というのは「おもしろいものをつくる」ということだ。

「おもしろいもの」というのは、これはおもしろいのですばらしいですよ、といえるものだ。

残念ながら世の中にも演劇界にもおもしろくないものが溢れている。

ほんとうに不思議なのだけれど、彼らはオモシロイと思って作っているのだろうか?マジでインタビューしたい。あなたの作品はどこがおもしろいですか?

価値観の違いの話とか出てくるとは思うのだけれど、価値観が異なれどわかるレベルの上下みたいなものはある。

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たとえば、水中、それは苦しいの「農業、校長、そして手品」なんて、僕のセンスからすれば絶対に許されないけれど(とくに手品)、作品としてはとても素晴らしい。


水中、それは苦しい「農業、校長、そして手品」 - YouTube

まああとこれはもしかしたらさっき書いたことと矛盾するかもしれないんだけど、作るとき僕らは、ターゲットを考える。誰宛か、考える。

そしてその決めた流れに沿って作品を作るのだ。

これは誰が見てもおもしろい作品をつくろう、とするとわかりやすい王道のエンターテイメントになったりするし(三谷幸喜は万人受けの天才)、100人に1人、同じ感性を持つ人が絶賛するやつを、となると自分が認めるもので構成した、「個性」的なものが出来上がる。

個性的なものを作るとき、それは同じ個性を持った人に向けられている。

同じ個性を持った人が歓喜するものを、これが僕が私が夢にまで描いた世界だ、やりたかったことだ、それが現実のものとなるなんて!という「共有」を目指して作られる。

ターゲットに入っていない人はほんとうにどうでもよい。どうでもよいのだ。

だからターゲットに入っていない、つまり合ってないと感じたらそれを早々に投げ捨てるのは別に否定される行為ではない。それは君ではない誰かに送られたものだから。

ただ、その批判は絶対に作り手には響かない。

だから言うだけ無駄である。アホの所業である。

そんなことするより自分に合う作品digるほうが楽しいよきっと。

まあでも自分に合わない作品を見て自分の立ち位置を明確化する作業は大事だけどね。