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何者かになるまでの

音楽、アニメ、演劇。

マーケティングの天才SEKAI NO OWARIのニューアルバム「Tree」について

もともと僕はどちらかというとセカオワのアンチであった。

前からロキノン山崎洋一郎編集長が彼らを絶賛しているのが不思議でならなかった。
なぜくるりの「THE PIER」の魅力をあんな端的に的を射たレビューを書くことができる山崎さんが、彼らをひたすらにもちあげるのか。なぜ2014年に15周年を迎える記念すべきROCK IN JAPAN FESの3DAYSのトリを彼らに任せたのか。
軽いアンチだったが、いろいろな奇妙な縁からセカオワの曲を頻繁にYouTubeで聞くようになり、音源をたまたま持っていたEARTHを聞くようになり、友人にシングルDragon Nightをプレゼントされ、昨日とうとう新作「Tree」(初回限定盤)を買うまでになった。

なんとなく彼らの魅力がつかめたような気がするのでつらつらと書いてみようと思う。

Tree(初回限定盤CD+DVD)

Tree(初回限定盤CD+DVD)

 

 

とにもかくにも初回限定盤のDVDがすごかった。すごすぎた。

はじめてセカオワのライブ映像を見たのだけれど確信した。彼らはミュージシャンというよりはアーティストだ。芸術家集団なのだ。
ライブは彼らにとって自分たちのセンスを発表する展覧会であり、音楽はその媒体のひとつにすぎない。
そう考えるとすごいマーケティング能力だ。天才的と言ってよい。
今の時代、自分のセンスを表現できる媒体がいくつかある。
それは絵であったり、文であったり、映像であったり、演劇であったりするのだけれど、その中でも音楽というのはすごく手軽で力をもつ媒体だ。
なにせ4分でひとつの世界を作ることができる。これが演劇だとそうはいかない、すべての登場人物が出きっていない時間だ。
さらにYouTubeによって映像という強固な媒体とともに世界観を補強することができる。

TwitterのUserStreamに慣れた現代の僕達の情報処理はとてもファストで、ライトだ。
ハンバーガーのように手軽に次々処理できるような作品が好まれる。だから一時間あるドラマや演劇は弱く、マンガや音楽は強い。
絵(イラスト)はとても手軽だけれどそれゆえに競合が多い。また、状況を変えることができない。変わるものを僕らはマンガと呼ぶ。
そのような現代で芸術家集団セカオワが選択したのは音楽であった。

セカオワがうまいと思うのはそこでさらに「ファンタジー」という領域を選択したことだ。
ファンタジーは「ありえないと考える空想」を意味する。
ファンタジーのもつ求心力はとてつもないものがある。僕らはありえないものをありえないと考えつつ、本質的に欲している。ハリーポッターがありえないと思いつつどこかで魔法を信じているように。
しかし、元来子どもたちのためのものとしてファンタジーは作られてきた。大人はファンタジーに一歩引いた目線で接することを義務付けられてきた。
そのファンタジックなものを大人も楽しんでいいんだよ、と提示してきたのが、ディズニーであり、サンリオであり、セカオワなのだ。
ファンタジーは一歩引くものだという大人たちはそれらをdisるし、子どもたちやファンタジーが好きな大人たちはそれらに大いにはまっていく。ここに両者の決定的な溝が生まれる原因がある。

セカオワのライブではこのファンタジックな世界観を表現するためにあらゆる趣向が凝らされている。
月に1度はライブに行っているが、このようなライブは見たことがない。というよりこれはライブではなく、前述したとおり展覧会だ。
巨大な木が建てられ、炎が燃え上がり、シャボン玉は飛び、水は天井から落ちてくる。
ライブというものは4分のファストフードを気に入ってくれた人たちにお店が特別に作った満漢全席のようなものである。
食べに来る人たちは基本的にその店が好きである事が前提であり、普通なら避けられるような味付けも安心して出すことができる。
セカオワはそのことをよくわかっていてライブで演劇的な要素を多用している。ファストな世の中には合わないような媒体も、ターゲットを絞ればセンスを表現する有効な手段になりうる。(ファンになりきっていない僕には少し見ていられないところもあったが)
セカオワは感覚的にわかってすべてを仕掛けている。

 

ただセカオワが天性であるゆえの危うさというものもこの映像には散見される。
セカオワは深瀬の純粋培養した中二的世界観を、メンバーで表現するバンドだ。セカオワの魅力はメロディの圧倒的キャッチーさとポップさだが、真髄は深瀬のもつ世界観にある。
普通の人ならば中二の時期にはまり、時間とともに醒めるはずの夢から醒めずに大人になったものだけが持ちうる世界観。
夢から醒めていないことは「精神病棟に昔入っていた」などの突っ込まなければいけない気持ちになるあまりにピュアな言動からも分かるだろう。
青い太陽が「太陽はその存在条件故に孤独であった」と説明され「ああ・・・」となるこの感じを「ああ・・・」とならずに真摯に歌えるところに彼の力がある。

だが、深瀬にとってファンタジーは重要な彼を構成するキーワードではあるが、彼の全てではない。
そして同様に今のセカオワもファンタジーがセカオワを構成するすべてではない。
しかし、セカオワはファンタジーですべてを構成するべきなのだ。
アルバムTreeや映像にも収録されている「銀河街の悪夢」はひどく現実に寄った深瀬の鬱告白の歌でサイレンのあたりとか結構好きなのだけれど、明らかにアルバムやライブの雰囲気から浮いている。
ライブなんて鉄拳の作ったPVが流れるせいでもう空気感が台無しだ。
「brokenbone」なんかも普通にいい曲だと思うけれど、これはRPGの隠し曲としてやはりあるべきであった。
「炎と森のカーニバル」で「YOKOHAMAにある遊園地の、」と歌い始めるべきではなかった。好きだけど。


SEKAI NO OWARI「炎と森のカーニバル」 - YouTube

「スノーマジックファンタジー」あたりがしっかりファンタジーやってる分、とてもちぐはぐな印象を受けてしまう。

また、ライブでスクリーンに歌詞が映し出されるシーンの歌詞のフォントがひどい。なぜゴシック体なんだ!もっとあるだろ!ライラとか!!

極めつけはメンバーのMCが酷すぎる。ビビる。下手とかいう次元を通り越してる。なぜ観客個人の話をする、なぜLINEの話をする、なぜスタッフの話をする、なぜセットの話をする。
ファンタジーにおいてメタ演出というのはご法度だ。空気をぶち壊しかねない。
ファンタジーの世界観を作り上げつつ客の目線に寄った俺たち、というのを彼らは目指したいのかもしれないが、それは展覧会では行う必要はない。TwitterやTV番組で行えば良い。

これを絶妙なバランスで実現しているバンドがBUMP OF CHICKENであり、セカオワが彼らの後を辿れるかはそこにかかっている。
ここをこれからどう変えていくかが彼らがアイドル集団になるか芸術家集団になるかの分かれ目であると思う。

 

関係ないけど映像のアンコールのシーンで観客がスターライトパレード歌い出したのはマジでドン引きした。
あんなことがありうるのか・・・
でもFight Musicとインスタントラジオの流れ良い。
アルバム的にはムーンライトステーションが好み。
来年の日産がんばって取ろう。