春か、かなた
寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」を読んでイライラしているところなのだけれど、こういうやつらが隆盛を誇った時代に生まれてこなくてとても良かったと思う。
こういう分かったようなことを書いて自分に酔ってるオヤジどもよくブログとかで見るけど。
こんなのが演劇界の歴史に燦然と輝いているのか?勘弁してくれ。
などといいつつも、「ノック」という演劇の趣向を知った時は脊髄反射で脳内イイネ!ボタンを押してしまったのは記憶に新しい。
で、星野源とかクリープハイプ聞きながら読んでたのだけれどなんだか気持ち悪くなったので、2章まで読んだのをいいことに本を閉じてGOING UNDER GROUND聞いて心を浄化していた。
GUG聞くととても甘酸っぱい気持ちになる、なんだこれは。
春いね。
春さが足りない。この本を読み終わったら辻村深月とか中村航とか読み返そうとか思っているところで、毎年どういう本をこの時期に読んでいたのか気になった。
春には春の本が、夏には夏の本があるのは百も承知のことだと思うのだけれど、かたっぱしから読んでいくだけなのでいつ何読んだという蓄積がないのが本当にもったいないことだと今まで生きていて後悔している。
せめて中高時代の図書室貸出記録とか貰えればいいのに。
ということで昔一瞬やってた読書メータをとりあえずまた開いてみた。
いつまで続くか。まあこういうのは読書記録だけとっとくのがいいというか感想を書き出すと大抵続かない。
辻村を読もうと思ったのも最近研究室配属がなされてゼミの話とかぶるなと思ったところであって。
毎年思うけれどずいぶん遠い所まで来てしまった感じがする。もう大学末期。
中高の頃ひたすらに憧れていた大学時代は背後に。後悔はないが。
辻村の「凍りのくじら」は読んで感動して文庫を買い、まだ一度も読み返していない。なかなか読み返す気になれない。
僕にとっての長年のNHKにようこそ!的なね。
ある意味これも名著の条件の一つだと思う。何度も読み返したいかほとんど読み返したくないか。
そうだ、書を捨てよ読もうと思った理由にエッセイが読みたいと思ったのがあるのだった。
昔のものばかり読んでいると後ろ向きになってしまうからな。